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「正しく言えるまで黙る」学生に、研修は何を先に渡すか
英語の時間に黙ってしまう学生は、意欲が無いのではなく、間違いを怖がっていることがあります。ベトナムとタイのキミタビを運営する藤村さんへの取材と、外国語の授業で生まれる不安を調べた Horwitz らの研究を重ね、事前指導と現地での関わり方を、学内で使える表と問いにまとめました。
文:株式会社IMPACT ASIA
ホーチミンの夜、NGO が開く夜間学校の教室で、日本の大学生が英語の授業を始めます。最初の一言は、たいてい小さな声です。後ろの席まで届きません。
それでも、前に座ったベトナムの子どもたちは「イエス!」と元気に返してきます。もう一度問いかける。また返ってくる。そのうちに学生の声が少しずつ大きくなり、気がつくと、台本に無いやりとりが始まっています。
ベトナムとタイのキミタビを運営する藤村さんは、この場面をいちばん心に残っているものとして話しました。
一番最初は自信がないので、どうしても声が小さくなってしまって、あまり聞こえないみたいなことがあるんですけど、それでもベトナム人の子どもたちがですね、元気にイエスとかね、答えてくれたり。だからそこから日本人学生の声も少しずつ大きくなっていって、気づいたら自然なやりとりが生まれているっていう、そういった瞬間がとても印象的に残っています。 藤村さん
授業で英語を話さない学生を見て、「やる気が無い」「準備不足だ」と受け取った経験のある先生は少なくないと思います。以下では、藤村さんが2つの国で見てきた場面と、外国語の授業で生まれる不安を調べた研究を重ねて、「話せない」の中身を分け、研修の前と現地でできることを整理します。
現地スタッフが見てきた2つの場面
藤村さんは、キミタビのすべての回に関わり、いまは運営を担っています。今回の取材は、ベトナム・ホーチミンとタイ・チェンライのそれぞれについて、本人が音声で答えたものです。
ホーチミン:教える側が、子どもの返事に引っぱられる
ベトナムの回で、学生は最初の1週間ほどをかけて、ベトナム人の学生に教わりながら現地を知ります。そのうえで夜間学校に行き、英語で授業をします。藤村さんは、夜間学校の子どもたちの様子をこう話します。
子どもたちは本当に勉強したいんですね。(中略)授業が始まるのが待ち遠しくて待ち遠しくて、先生に早く始めようって言っている姿がとても印象的でした。 藤村さん
子どもたちにとって、外国の人から学ぶ機会は多くありません。その機会を無駄にしたくない子どもたちと、その熱意に応えたい学生。藤村さんはその教室を「緊張とワクワクが混じったような」授業風景と呼びました。
ここで起きていることを、教える側の目で見直してみます。学生の声が大きくなったきっかけとして藤村さんが挙げたのは、子どもたちの元気な返事でした。点をつける人のいない場で、話せば返事が返ってくる。それが続くうちに声が出るようになったのではないか、と私たちは見ています。
チェンライ:翻訳アプリも使えない村
タイの回は、チェンライの山の村でラフ族の人たちと過ごします。ラフ族の人たちはラフ語を話し、英語も日本語も通じません。
山の中なのでWi-Fiがないんですね。なので、もう本当にGoogle翻訳とかも使えないような状態。だからこそ、じゃあどういうふうにコミュニケーションを取るかっていうのを、自分なりに考えながら、動くっていうところ。 藤村さん
言葉が無いところで何が起きたか。藤村さんは、ラフ族のお母さんたちが作ってくれた食事の場面を挙げます。
料理を囲んで美味しいっていう表情をしたら、その美味しいっていうのがこういう風な現地語で言うんだよとか、そういうものを通しながら現地の言葉を学んだりとか、やっぱり表情でとにかく会話をするとか、なんかそういう、言語なしのノンバーバルコミュニケーションっていうところはすごく大事なんだなと感じたのが印象的です。 藤村さん
チェンライの前と後で何が変わったかを聞くと、答えは一行でした。
コミュニケーションは言語だけじゃない 藤村さん
ホーチミンでは「間違えてもいい英語」、チェンライでは「言葉の無いやりとり」。場面は違いますが、どちらも、正しく話せるかどうかを脇に置いたときに、やりとりが動き出しています。
「正しく言えるまで黙る」はどこから来るか:Horwitz ほか(1986年)
外国語の授業で学生が黙ってしまうことを、性格や意欲ではなく、外国語の授業に特有の不安として説明したのが、Elaine K. Horwitz らの論文「Foreign Language Classroom Anxiety」(1986年)です。不安を測る33項目の質問紙(FLCAS)も、この論文で示されました。
論文は、外国語の授業の不安を3つの不安とつなげて説明します。
| 不安 | 論文の説明(要約) | 授業でよく見える姿 |
|---|---|---|
| 伝えることへの不安 | 人と話すこと自体への怖れ。外国語では、相手の言うことが分からない・自分の言うことが伝わらないと、あらかじめ分かっている | ふだんはよく話す学生が、外国語の授業では黙る |
| 試験の不安 | 失敗への怖れ。完璧でなければ失敗だと自分に求める | 間違えるくらいなら答えない |
| 否定的に評価される怖さ | 他人にどう見られるかへの怖れ。試験に限らず、どんな場でも起きる | 先生や周りの学生の反応を気にして手を挙げない |
右の列は論文の記述ではなく、私たちが授業の場面に置き換えた例です。
そのうえで論文は、外国語の不安は3つを足したものではなく、外国語を学ぶことに固有の「自分についての見方・思い込み・気持ち・ふるまいのまとまり」だと考えます。母語では言える自分が、外国語では限られた自分しか見せられない。数学や理科の不安とはそこが違う、という説明です。
75人の答え
論文は、米国の大学の初級スペイン語の4クラス、75人(18〜27歳)に、学期の3週目にこの質問紙を答えてもらった結果を示しています。いくつかを抜き出します。
| 質問紙の文(訳) | 答えた割合 |
|---|---|
| 「授業で間違えることを心配していない」 | 65%が同意しなかった |
| 「ほかの授業より、外国語の授業のほうが緊張する」 | 38%が同意 |
| 「先生が、私の間違いを全部直そうと待ち構えているのが怖い」 | 15%が同意 |
| 「外国語を話すと、ほかの学生に笑われるのが怖い」 | 10%が同意 |
論文は、不安の強い学生が「絶えず試されていると感じ、直されるたびに失敗だと受け取っている」ようだと書いています。
もう1つ、先生にとって大事な指摘があります。学生の中には「正しく言えるようになるまで、外国語で何も言うべきではない」「知らない単語を推測してはいけない」と信じている人が少なくない、というものです。外国語では、流暢になる前から話すことを求められ、よくできる学生でも間違えたり、単語を忘れて推測したりする。だからこうした思い込みは、不安を生まずにはいられない、と論文は述べます。
藤村さん自身も、取材の中でこう話しています。
どうしても英語を喋るとなった時に、周りの人と比べちゃったり、自分の喋ってることが正しいかなっていう怖さが勝ってしまうことがあると思います。僕も昔はそうでした。 藤村さん
この研究から言えること、言えないこと
この論文が見たのは、1980年代の米国の大学の、教室でのスペイン語の授業です。海外の現場で、現地の子どもや村の人と話す場面を調べたものではありません。75人の答えも、外国語を学ぶ学生全体の割合を示すものではありません。
それでも、借りられる考え方はあります。授業で黙っている学生を「準備不足」「無関心」と見る前に、「間違えたくない」「評価されたくない」という不安を疑ってみること。論文自身も、不安の強い学生は怖い活動を避けようとするので、準備していない・関心が無いように見えることがある、と注意しています。
2つの道:不安に慣れるか、場の緊張を下げるか
論文は、教える側の選択肢を2つ挙げています。不安を生む場面に対処できるよう学生を助けること。もう1つは、学ぶ場そのものの緊張を下げること。どちらを選ぶにしても、先生がまず、外国語の不安があると認めることが先だ、としています。
藤村さんの話を、この2つの道に置いてみます。ここからの対応づけは、論文が書いたものではなく、私たちの読み方です。
| 論文の2つの道 | 藤村さんの話に出てくる場面 | 研修での置き方の例 |
|---|---|---|
| 場の緊張を下げる | 夜間学校の子どもたちが、間違いを気にせず元気に返事をする | 最初の英語の場面を、評価のない相手・返事の返ってくる相手に置く |
| 場の緊張を下げる | ベトナムの協力者が、「間違ってもいいから喋ろう」という様子で、拙い日本語で話してくれた | 現地の人が日本語や英語を間違えながら話す姿を、学生が先に見る |
| 対処を身につける | 言葉が通じず、周りが笑っていると疎外感がある。それでも交流するうちに「自分なりのコミュニケーションの方法」が見えてくる | 疎外感が出ることを事前に伝え、その日の振り返りで方法を言葉にさせる |
| 対処を身につける | 言葉が分からないまま「やってみたい」と繰り返したら、翌日に薬草のサウナを用意してくれた | 言葉が足りなくても「やってみたい」を伝える場面を、毎日1つ決めさせる |
ベトナムの協力者の話は、藤村さんがキミタビの準備で現地の手伝いを募ったときのものです。カフェで会い、最初は英語で話していたところ、相手が日本語も勉強していると分かり、日本語も交えて話したそうです。
日本語がわからないながらも、やっぱり喋りたいっていう気持ちが強いのか、もうなんかそういう、間違ってもいいから喋ろうっていう、そこはすごく印象に残っていますね。 藤村さん
運営の立場から学生に最も身につけてほしいことを聞くと、藤村さんの答えは「間違いを恐れないこと」でした。
言語っていうのはコミュニケーションを取るツールであって、正しい・間違い、そういうものはないと思っています。だからこそ、自分の伝えたいことをとにかく伝えたいっていう気持ち、これを大切にすることが、一番身につけてほしいことかなと思います。 藤村さん
「正しい・間違いはない」は、言語を教える立場からは言い切りすぎに聞こえるかもしれません。ただ、研修の最初の数日に限って言えば、学生が抱えている「正しく言えるまで黙る」という思い込みに、反対側から重しをかける言葉として働く、と私たちは見ています。正確さを磨く時間は、そのあとに来ます。
黙ったあとに、言葉にする
不安を下げて終わりではありません。藤村さんは、現地で感じたことを最後に言葉にするところまでを、研修の中心に置いています。ベトナムの回では、現地で得たことをすべて、最後に英語の発表にまとめます。チェンライについても、こう話しています。
キミタビの中では、そういったものをしっかりと言語化して、英語でも伝えられるようにしていくというところは最終的にやっていくことなので、そこで考えたこと、気づいたこと、気になったこと、感じたことっていうのを言葉にするっていうことはやっていきたいと思っています。 藤村さん
ベトナムの取材で「この話の中で一番伝えたいこと」を聞いたときも、答えは言葉にすることでした。大変な体験をしたとき、それを自分なりにどう解釈し、どう言語化するか。そこに「自分なりにやっていく面白さ」がある、と藤村さんは話します。
言葉の通じない場で、言葉なしにやりとりをする。そのあとで、それを言葉にする。順序としては遠回りに見えますが、「正しく言えるまで黙る」を一度外してから、自分の言葉を組み立て直す流れになっています。
学内で使える問い
事前指導や、引率しながらの声かけで使える形にしておきます。どれも、評価のための問いではなく、学生が自分の不安に気づくための問いです。
事前指導で(出発の2〜3週間前)
- 英語で話す場面を思い浮かべて、いちばん怖いのは何ですか。「通じない」「間違える」「笑われる」「先生や周りにどう見られるか」のどれに近いですか
- 「正しく言えるまで黙っておこう」と思ったことはありますか。そのとき、黙ったことで何が起きましたか
- 知らない単語に出会ったら、何をしますか(推測する・身ぶりにする・聞き返す・相手に教えてもらう)
現地で(その日の終わりに)
- 今日、言葉が足りなかったのに伝わった場面はありましたか。何を使いましたか(表情・身ぶり・絵・相手の言葉)
- 今日、周りが笑っていて自分だけ分からなかった場面はありましたか。そのとき何をしましたか
- 明日、言葉が足りなくても「やってみたい」と伝えたいことを1つ書いてください
帰国後に
- 現地で覚えた現地の言葉を1つ挙げて、それを教わった場面を説明してください
- 「伝わった」と感じた理由を、言葉以外のものから説明してください
分かっていないこと
今回の取材で分かっていないことを、そのまま書いておきます。
- 学生の声が大きくなるまでに、どのくらいの時間がかかるのか。藤村さんの話は「少しずつ」「気づいたら」という言い方で、回数や日数は聞けていません
- 不安の強い学生と、そうでない学生で、現地での変わり方に違いがあるのか。キミタビでは、外国語の不安を質問紙で測ったことはありません
- 「間違いを恐れないこと」を伝えるスタッフの関わりが、帰国後の英語学習にどうつながるのか
外国語の不安を研修の前後で測るなら、Horwitz らの質問紙は出発点の1つになります。研修の効果の測り方は「海外研修の効果測定」で、現地での困難の時期の支え方は「海外研修のカルチャーショックと「谷」」で扱いました。
チェンライの村の人たちが向き合っている国籍の問題や、ホーチミンの夜間学校の背景は、学生向けのキミタビの読み物にまとめています(出典の欄を参照)。研修の中で学生が出会う人たちの暮らしを、先生が先に知っておくことも、学生が言葉に詰まったときの手がかりになるはずです。
